「決定的瞬間」は「決定的空間」
史跡や遺跡に特に興味があるわけではないが、いわゆる「かつて、何かだったもの」が
一部だけ意味不明に残っていたりすると、その不思議な存在感に引き寄せられてしまう。
この写真は、北海道松前の波止場跡で、その先端部分だから、ずいぶん昔の係留用の杭(くい)なのか。
100年以上の歳月、日本海の波に洗われて少しずつ形が変わり、海に向かって消えていくモニュメントは魅力的だ。
後ろを振り返ると、雑然とした松前の市街地や国道にかかる橋が見える。
冬場は風が強く、10年前から何度も足を運ぶが、カメラを構えても、いざ撮影しようとするとふぶき始めたり、
波が強くなったりで、仕上がったのはこの一枚だけだ。
海の中に三脚を立てて、足元を波が通り過ぎる数秒の露出。印刷では雲のようだが、
波は、糸のように細い繊維のような筋を描いている。この日、このひと時の一枚のように感じる。
「一期一会」なんていう言葉もあるが、写真という芸術は特にそういう要素が強い。
写真の解説文に「シャッターチャンス」という言葉をときどき耳にする。
変化し続ける被写体の、美しい瞬間を捉えた「決定的瞬間」というような意味に使われているのだけれど、
スポーツやスナップショットのような目の前で動いていて、変化し続けているものだけに当てはまるわけではない。
変化の少ない風景や静物、光さえ変化しないスタジオの中でも、
撮影者の意識の中で空間は変化し続けている。
それは被写体を受け止める作者との位置関係や、気持ち。
つまり、客観的な時間軸ではなく、「決定的瞬間」は作者を含めて記録される“空間”だ。
シャッターチャンスは、「決定的瞬間」ではなくて「決定的空間」と、いうことなのだけれど、
カメラは、シャッターで切り取る道具という意識が強いので時間を記録しているように表されているにすぎない。
空間を切り取っているのは、シャッターでなくレンズ。写真はレンズの作り出す芸術だ。
現在のデジタルカメラなら、動画のように長い時間撮影して、その中から、最も美しい瞬間だけを写真として選ぶこともできる。
私の嗜好(しこう)ではないが、そこから名作が生まれることもあるかもしれない。
私は緩やかな時の流れの中で物を見る。変化の少ないもの、ゆっくりと移り変わるものが好きだ。
この杭のように少しずつ変化してきたもの、振り向けば当時からは想像もつかない松前の町がある。